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東京大空襲と亀戸

20051223_03この写真は、東京大空襲直後に天神橋から亀戸方向を撮影した写真です。
この時、私の祖父や父が暮らした家と店は、現在の場所と蔵前橋通りをはさんだ向かい側、「この写真の中心」にありました。

父は山形へ集団疎開していましたが、祖父や祖母は戦災の頃の話はまったくしてくれませんでした。
ただ他国で行われている戦争のニュースのサイレンを聞いた瞬間、祖母が本当に怖い顔で、「テレビを消しておくれ」と言った時のことが、忘れられません。
私たちの考えられないような体験だったのだと思います。

F1000003この写真にはぎりぎり映っていないのですが、この時亀戸天神の蔵や、江東橋四丁目など一部の氏子の神輿蔵は災難を逃れ、今でも大きな神輿や曳太鼓が祭礼の時には街に繰り出しています。

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コメント

本日2020年3月10日、東京大空襲の記事を色々探していたら辿り着きました。私の父は当時13歳。山形の疎開先から中学校進学手続きの為、実家である江東区亀戸2丁目にある金物店に帰省している時に空襲にあったそうです。亀戸天神から正面のところです。(今はタイヤ屋さんになっているあたり?)祖父をはじめ兄弟姉妹(全員ではありませんが)みんな奇跡的に無事だったそうです。金物店はもちろん全焼、その後小岩、船橋に転居。船橋駅前で金物店を再開したとのことです。掲載されている最初の写真、父に見せてあげたかったです。父は2012年他界しました。父と母は亀戸天神で結婚式をしたそうです。本家の墓は錦糸町にあります。父は幼い頃よく錦糸公園で遊んだそうです。私は昭和42年生まれ52歳です。幼い頃から亀戸天神によく連れて行ってもらってました。
空襲を体験した人々が少なくなってきていますが、なるべく多くの人に父から聞いたことを伝えていきたいと思っています。

投稿: | 2020年3月10日 (火) 午後 04時22分

本日2020年3月10日、東京大空襲の記事を色々探していたら辿り着きました。私の父は当時13歳。山形の疎開先から中学校進学手続きの為、実家である江東区亀戸2丁目にある金物店に帰省している時に空襲にあったそうです。亀戸天神から正面のところです。(今はタイヤ屋さんになっているあたり?)祖父をはじめ兄弟姉妹(全員ではありませんが)みんな奇跡的に無事だったそうです。金物店はもちろん全焼、その後小岩、船橋に転居。船橋駅前で金物店を再開したとのことです。掲載されている最初の写真、父に見せてあげたかったです。父は2012年他界しました。父と母は亀戸天神で結婚式をしたそうです。本家の墓は錦糸町にあります。父は幼い頃よく錦糸公園で遊んだそうです。私は昭和42年生まれ52歳です。幼い頃から亀戸天神によく連れて行ってもらってました。
空襲を体験した人々が少なくなってきていますが、なるべく多くの人に父から聞いたことを伝えていきたいと思っています。

投稿: | 2020年3月10日 (火) 午後 04時29分

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