江戸・明治のころの亀戸の地図

登記簿の調査ではわからない「地歴」調査の参考のため購入した江戸と明治の地図ですが、まもなくPCのバージョンアップで使えなくなりそうなので周辺だけ切り取ってみました。

明治40年(1907)の地図と安政3年(1856)の地図、そして文政元年(1818)の御府内の墨引と朱引地図。

亀戸は江戸町奉行管理の町方の飛地だったのが地図からわかります。


地図をクリックすると少し大きく表示されます。
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亀戸天神社の更衣祭、御鎮座の日

10月25日に亀戸天神社 更衣祭(こういさい)があり参列してきました。

更衣祭は夏用の御衣(ひとえ)から、冬用の絹の羽二重にお召しかえをするものです。静寂な闇の中、粛々と殿内に御衣を奉ります。夏への更衣祭は5月25日に行われます。

そして亀戸天神社の御鎮座された日でもあります。
寛文二年(1662)10月25日に社殿、回廊、心字池、太鼓橋などを太宰府天満宮の社にならい御鎮座されました。

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亀戸天神社「松尾芭蕉ゆかりの句碑」

Dsc_0320 今日から10月ですね。そして今宵は中秋の名月。

亀戸天神の鳥居をくぐって右側の参道を進むと、八つ橋のたもとに「句碑(聖廟九百年御忌)」と書かれた句碑があります。

これは、今から約220年前の享和2年(1802年)2月25日に松尾芭蕉門下の人たちから芭蕉の百年忌にあわせて奉納されたものです。

「しばらくは 花の上なる 月夜哉」

これは春と秋の2つの季語が入っていますが、亀戸天神社は花の天神様と呼ばれているので、俳句が全くわからない私は勝手に、それぞれの季節に合うと思っています。

2002年に、菅原道真公御神忌千百年にあわせて境内の整備が行われましたが、句碑の九百年というのは菅原道真公御神忌九百年にあたるんですね。二百年前の境内はどのような風景だったのでしょうか。

ちなみに、御神忌千年の石碑もあるんですが、こちらはまた改めて書いてみたいと思います。お時間があったら探してみて下さいね。

10月と言えば、亀戸子供会の連合運動会や、学校対抗のドッチボール大会「亀リンピック」、江東区民まつりなどがあるのですが、10月の行事もほぼ中止で少々寂しいですが、秋を楽しみたいと思います。

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亀戸天神の史跡・・・累卵塔

160717ruiran亀戸天神の境内にある「累卵塔」は1990年に江東区有形文化財(歴史資料)として登録されました。

累卵塔ができたのは明治20年と刻印されています。勝海舟とともに幕末の三舟と言われた高橋泥舟と山岡鉄舟の作で、誌は高橋泥舟、画は山岡鉄舟の作です。

累卵塔は、幕末の記録を後世に残すとともに、当時の明治政府も累卵のようだということをあらわしているのかもしれませんね。ちなみに累卵とは卵をいくつも重ねてのせることで、バランスが簡単に崩れそうで非常に危ない様子を表しているそうです。

幕末ドラマも多く放送されていますが、高橋泥舟・山岡鉄舟ともにその時代を生きた幕府の役人でした。

山岡鉄舟は、浪士組を結成したときの取締役で清河八郎とともに京へ行ったり、江戸無血開城を決めた勝海舟と西郷隆盛の会談に先立って、ひとり駿府で西郷隆盛と下交渉を行いました。維新後は、茨城県初代参事などののち明治天皇の侍従となった人物です。

高橋泥舟は、江戸に戻った清河八郎ら浪士組の取扱いを行なったり、徳川慶喜へ官軍への恭順を進言し、徳川慶喜が上野東叡山へ退去したときも、水戸へ下るときも護衛した人物です。

山岡鉄舟は明治21年に座禅を組みながら亡くなったそうですので、亡くなる1年前にこれを残したのですね。
ちなみにアンパンで有名な銀座の木村屋總本店の看板は山岡鉄舟が書いたものだそうですよ。

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卯之日詣りと子年は商売繁盛

今日は卯之日。初卯が元旦でしたので、二之卯の今日、地元商店街の 皆さんと卯之日の正式参拝へ行ってきました。



その中で、子年について、お話があったので備忘録。
ネズミは、金運を授ける・子宝に恵まれると言い伝えられ、七福神の大国様の使いとしてネズミ彫られていたり描かれているそうです。


写真は御嶽神社と亀戸七福神の大黒様です。


ブログでも記事をご紹介しています。お時間があるときにご覧になってみてくださいね。


御嶽神社(卯の神様)


安政地代の神輿



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大山詣り~亀戸天神社の御分霊「菅原社」

大山詣りへ行って来ました。
関東総鎮護「大山阿夫利神社」での正式参拝に続き、御社殿から山頂の本宮への入口に祀られた亀戸天神社の御分霊「菅原社」へお参りしてきました。

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亀戸天神社「神忌祭(松明まつり)」

shinkisaipost亀戸に本格的な春の訪れを告げる「亀戸天神の松明まつり(神忌祭)」が、今週3月25日に行われます。

桜も開花しましたが、私が春の訪れを感じる色は、私が生まれる前から行われている神忌祭の「オレンジ色」なんです。

亀戸天神が創建されてから300年以上続く、菅原道真公の忌日に行なわれている祭事です。
菅原道真公の忌日は2月25日ですが、明治の改暦により3月25日に改められ、亀戸天神では3月25日に行われているんですよ。

神忌祭は、夏の例大祭に対する春祭りと位置づけられる大切なお祭りで、春の夕暮れとともに、心字池のまわりを松明の明かりで照らしながら廻ります。行列は葬送の列を模しているそうです。

神忌祭については、こちらのページもご覧になってくださいね。
亀戸天神の神忌祭(松明まつり)のお尋ねに答えて

なお、この祭事は、雨が降ると社殿内の神事のみになりますので、もし雨天の場合は、事前に亀戸天神社さんへお問合せされたほうがよろしいと思います。


私は、この行事が終わると「春」を感じるんです。もうすぐ春本番ですね(^^♪

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亀戸天神 筆塚祭

7月25日 10時より
場所:亀戸天神社筆塚前(鳥居をくぐって右側)
筆塚の前で「おたきあげ」が行われます。古い筆や清書などをお持ち下さいね。

そして「亀戸天神にある4つの筆塚と楷の木」も下記のページでご紹介しています。
お出かけ前にチェックしてみてくださいね
●関連ページ●
亀戸天神の史跡・・・筆塚と楷の木


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亀戸天神は学問の神様として知られていますが、菅原道眞公は空海、小野道風に並ぶ能書家といわれ「書道の神」とも仰がれておりました。そのことから、「筆塚祭」では、使い古した筆を納め、書道上達、学問の向上を願う人々が一層の上達を祈願しています。

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亀戸天神の史跡・・・筆塚と楷の木

亀戸天神は学問の神様として有名ですが、鳥居をくぐって右に行くと筆塚があり、その隣には、「楷」の木が植えられています。

この木は、孔子の墓所に植えられた木で、木の名前「楷」は「楷書」の字を使い「てほん」を意味していて、「学問の木」とされています。日本には珍しい木で、花を咲かすまでに30年以上かかるといわれています。

また筆塚はこの場所以外に、私の知っている限りで4箇所あります。ここの筆塚は天保10年のもので、他の3つも全て江戸時代のものです。
うそ鳥の碑の一角、鳥居をくぐって左へ行った一角、松尾芭蕉句碑の反対側の一角にありますが、場所を探すのは大変かもしれませんので、分からなかったら社務所に聞いていただくか、私宛にメールを下さいね。

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亀戸の節分風景とこどもたち♪

今年も、まもなく節分ですね。
亀戸(特に駅の北側)では、節分の夕方になると、走るこどもたちと、自転車をこぐお母さんのグループをよく目にします。

setubunこれは亀戸3丁目に江東天祖神社・亀戸香取神社・亀戸天神社という大きな神社が3つあり、時間を少しずつずらして豆まきをするからなんですよ。

亀戸香取神社 15:00頃
天祖神社 15:30頃、18:00頃の2回
亀戸天神社 17:30頃
※時間はあくまでも目安ですので前後する場合があります。お出かけの際は神社にご確認くださいね。

これら3つの神社は、江東区の亀戸だけでなく大島や、墨田区の横川・業平・太平・錦糸町から両国にかけた江東橋や緑・立川といった総武線の南側の墨田区などが氏子となる、大きな神社です。

昔から、それぞれの神社で特徴の異なる豆まきが行われるので、私が子供のときも、神社の「ハシゴ」をしている子供が多かったです。ずーっと続いているんですね(^^♪

亀戸3丁目の裏道を車で走るときは、子供たちに気を付けてあげてくださいね。


写真は亀戸天神社の節分です(2月3日午後5時30分ごろから)
亀戸天神社では、赤鬼、青鬼が登場し、豆まきなどが行われます。四つ目の赤鬼・青鬼と神官の「調伏問答」が特色で、他の神社には見られない、古式豊かな神事なんですよ。

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